篠山ABCマラソン 完走記 2007年3月4日 晴れ
                                                     ネット 3時間14分59秒 非陸連 126位


 2006年3月4日。今日は全国的に異常なほど暑い晴天に恵まれ?寒かった東京マラソンの2週間後に果たしてリベンジを
果たし、思い通りのレースができるか?っといのが課題でした。

 06年度マラソンの最終ということで、東京マラソンで失敗したこともあり、この大会に結集させたかったという気持ちがありました。
今シーズンは、夏に喘息を起こし、秋に肉離れ、冬に膝痛と故障続きに泣かされました。思うと3ヶ月間続けて練習できたことが無かったですね。それでも12月の皇居練習会では、去年よりもいい走りが出来ただけに残念なのです。

 前夜の体重は、57.3kg、体脂肪率は、13.9%と体重はカーボローディングでめちゃくちゃ食べた割に増えていなく、ちゃんとコントロールできていますが、その割に体脂肪率が悪いです。例年なら11〜12%ですが、運動をしてやせていないという証拠で練習不足がこの数値からもわかります。

 昨晩はぐっすり眠れました。2年前は初マラソンということで緊張して全然眠れなかったもんです。それだけ今回は緊張感もない
の?朝5時に起きて、恒例のチーズお餅を3つ自分で作って食べました。日曜なのに嫁さんも起きてくれておにぎりを3つ作ってくれました。おにぎりの中身は、納豆、梅干、昆布です。納豆はおにぎりになりにくく嫁さんに嫌がられるのですが、これは毎年レース前に頂くの縁起を担ぐ意味もあるのです。とにかく、日曜なのに早くから付き合ってくれた嫁さんに感謝。

 ワセリンを足、叉、脇に塗り、乳首にバンドエイドを張って擦れ防止完了。嫁さんに駅まで車で送ってもらいました。6時に電車に乗り込み前日に履き比べたときに感じた違いの原因を探るべく、京都までじっくり研究するべっと思って鞄を見ると靴が入っていないのに気が付きました。真っ青になって、次の駅に電車を飛び降り、嫁さんに電話すると家の玄関に置きっぱなしであったそう。急遽、車で届けてもらい、京都発のツアーバスに遅れないかどうか気を揉みました。
 
 思ったより、ずーっと早く嫁さんの車がやってきました。車のところまで駆け寄って靴を貰うと駅構内までダッシュ、寸前で6時29分
発の電車に乗れました。またもや嫁さんに感謝感謝。この忘れた靴が、去年、おととしと篠山で走ったときのターサクラッチ。履いてきた靴が東京マラソンで履いたときのターサデュアルです。昨日のはき比べの結果、ターサクラッチの方がフィット感があるのでそちらを本命にしていたので、真っ青になったというわけ。結局、同じ形のはずなんですが靴紐の調節しても同じフィット感にはならず、ターサクラッチで今年も篠山を走ることとしました。

 恒例の腕写真です。今回の目標は、フラットな前半はkm4’20”で走り、15kmからの
登りからフィニッシュまではkm4’30”で走るという設定で最終目標タイムは3時間7分24秒です。どうしても今の自分ではkm4’10”前後で走るイメージが湧いてこなく、サブスリーは走る前から断念していました。

 京都には6時50分過ぎに到着し、篠山行きマラソンツアーバスの1号車に乗ることが出来ました。早めに現地へ入りたかったのでラッキーでした。7時に京都を出発。他の乗客さんは発車と同時に何か食べたり飲んだりしていましたが、自分は出走の11時から3時間前の8時までガマンしておにぎりを食べました。

 8時30分に、篠山へ到着。それからすぐに受付を済ませ、スペシャルドリンクを15〜40km地点の6箇所全てに預け、したくも無いけどトイレに行ってしゃがんだらちゃんと大きいのを出してスッキリしました。一万人規模のマンモス大会は混みだすと、トイレに時間がやたら食うので、こうスムーズ出てくれるとホッとするのです。

 9時00分から着替えて軽い体操をしてからウォーミングアップをしました。軽いジョグ、ストレッチ、肩のグルグル回し、横走り、スキップ、腿上げ、最後にダッシュを3回やって心拍数を160bpmまで上げて準備完了。東京マラソンでもこういうウォーミングアップができたらよかったんですがあめだったしねー。でもいつもならこの時に体の軽さを感じるんですが、終始重くて、心拍数も簡単に160bpmまで上がって、練習不足と東京マラソンの影響を感じました。

 10時20分には会場で整列し、スタートを待ちました。非陸連の先頭から約10m位後ろです。いつもなら2,3m後ろなのですが、弱気の態度がバレバレ。今年のゲストにも有森と川嶋が来ていて走りました。川嶋は40歳になるのに今年も2位になっていました。さすがやね。有森にとっては、選手引退後初めての大会ともあって非常にリラックスしていました。

 11時10分、非陸連選手のスタートです。初めの1kmがkm4分27秒とスタート直後の混雑を考えると上出来。そのまま焦らず走ると案の定、5km地点ではほぼ設定通りの21’45”とペース感覚はバッチリです。でも軽いはずのkm4’20”ペースが心拍数をみると156bpmとオーバー気味です。こりゃ今の自分にとって走っている感覚も心拍数もイッパイ・イッパイなんだと感じました。

 3km過ぎくらいから同じようなペースの2人を見つけその2に付いていったのです。でもその先頭の人がトイレに5km過ぎに行って2人旅になりました。10km手前でもう一人も、遅れだし、一人旅状態です。10km通過タイムは43’56”。この5kmは22’11秒と少しだけ遅れ気味。まあ1kmで2秒の差ですから気にしませんでしたけどね。

 10km過ぎから15km過ぎまでの5kmは22’06”と持ち直し、狙いどおりの走りがここまでは出来ています。でもやはり疲れが出始めて、15kmからもらえる自家製のスペシャルドリンクで回復すべし、っと早くも15km前から頼りにしたくらいです。

 15kmで貰ったスペシャルを飲んでしまったと思いました。量が多すぎるんです。体力回復のためには溶かし込んだ液体を全部飲みたいけど、一気に飲むとお腹がタップンタップンになるし・・・。いずれにしても、ここからはkm4’30”に落として走れるので楽になるっと思ったし、反面ここでちょっとだけkm4’30”より速目に走って、前半の20秒近くの遅れを挽回しようとも思ったんです。これがいけなかったのかな???

 17km過ぎ位にさっきトイレにいった人が追いついてきてびっくり。ゼッケンナンバーは自分より50も小さいので持ちタイムは自分の申告タイム2時間57分より速いのでしょう。さすがだなーって思いました。でもその割には、今の自分と同じ位置にいるから、今回は彼も良い調子ではなさそうです。

か 「すごいですね、よく追いつけましたね」
? 「イーブンで走ってるですよ、落ちてるんちゃいます?」
か 「・・・・・・・・・・・(くそー)、はい15kmから落としてます。」

 っと言うなり、その50小さいゼッケンはピューっと前に行ってしまいました。

 15から20kmまでは登りといっても、そんなに傾斜はきつくありません。20kmまでの5kmのラップは22’24”と予定より6秒だけ
速いペース、予定通りのペースなのですが、ちょっと無理している感じはしました。でもマラソンは無理を感じつつどこまで粘れるか?ってところも必要なのです。楽して走っていたら、自分の実力では3時間近くのタイムは絶対で無いでしょう。(出したいけどね^^:)

 20km過ぎで、さっきの50小さいゼッケンが見えてきました。彼に追いつけるとは思わなかったので少々自分でもビックリ。でもやっぱり、自分に追いつかれるくらいだから彼も今日は調子が悪そうです。東京マラソンではこの辺りからふらつき、限界を感じましたが今日は、まだなさそう。とうとう彼に追いつくと彼も自分を見て焦ったのか、スピードを上げてまた前に出ました。でも、自分はそれにはついていかず、淡々と走っているとまた彼に追いつきました。そんな調子が2,3度続いていると彼の知り合いが声をかけてきて、なんでこんな順位のところにいるの?って言う感じで聞いていました。彼は、今日は前半を余裕で走ってるんですよ、って答えていました。ふーん。

 25km過ぎ。この5kmは22分38秒と、もはや想定時間をオーバーしています。といってもたかが8秒なんで気にしなければいいんですが、5kmで平均して8秒遅かったのか?最後の1kmでペースを落とした結果なのか、判らないので焦るのです。この辺りから、足の裏が痛み始めました。長い間、走っていると感じる足裏の痛みです。これも距離をふんだ練習をしていないためでしょうか?それとも東京マラソンの後遺症?

 27km位でとうとう50小さいゼッケンの彼も遅れていきました。実力があっても、思うように走れないのがマラソンの辛さであり、醍醐味でしょう。

 30km過ぎ。この5kmが最後の登り区間となり言わば一番辛い区間かもしれません。足裏の痛みのせいでタイムががたっと落ちて5kmを23分23秒と目標より1分近くも遅れてしまいました。でも不思議とここで挽回しようというような意識はありませんでした。というか、そんな気にもならないくらい辛くなって来ていたのが事実です。

 この辺りから、1月から痛めていた膝が痛み始めました。今回も「ひざかんたん」のテーピングをしてきたのです。なんとかこらえてくれないか?っと祈るような気持ちで、でもここで無理しすぎても後に残ってしまったら大変、っという気持ちと交錯しはじめました。

 マラソンという競技は、個人種目でありながら何時間も続けて行う競技なので、こういった自問自答をありとあらゆる場面で行われるスポーツなのです。よってメンタルな部分が非常に大きく作用するスポーツともいえるでしょう。そのメンタルというものも集中力の分野でなく忍耐力と持続力、自己制御能力とういう分野が要求されます。

 35km過ぎ。この5kmは24分5秒です。速度にするとkm4分49秒までガタっと落ちました。30kmから35kmは下りなのですが、
今年の風向きは30kmから逆風でした。でもそれよりも何よりも、自分の体力、持続力の無さが原因です。それは承知で望んだ大会でした。思えば、この大会なんかに出られると思っていなかったので走れるだけでもラッキーなんです。そう思って、自分は幸せ、自分は幸せっと言い聞かせながら、笑った顔を作って、向こうから走ってくるすれ違いの選手に笑顔で答えました。

 辛い顔で走るより笑った方が辛くないのです。これは本当です。しかも30km過ぎからは折り返し前の選手と顔を見合わせることになるので、笑顔で答える良い機会になるのです。少しでも皆さんのためになりたいと笑顔を作るのです。そうすると甲斐もあると笑顔が出やすくなるというわけ。

 35kmの給水ポイントでスペシャルを見つけ損ねて、通り過ぎた瞬間、3248あったよ!って言われたので、急遽ブレーキをかけて戻りました。時間的なロスはさほど出ないのですが、足にブレーキを掛けたので、足裏の痛みが急激に増したのです。あっイター!って感じで立ちすくみたくなる気持ちをこらえて叉、走り始めました。

 このスペシャルドリンクは、一本当たり約200kcalのデキストリン、アミノ酸、クエン酸、などなどが入っていてこらえて走るためにも20km過ぎからはずーっと持って走って、1kmづつちょびちょび飲んで全部飲むように心がけました。

 40km過ぎ。この5kmはとうとう25分29秒もかかってしまいました。速度にするとkm5分6秒。マラソンはよく35kmからと言われますが、今回の場合は、25kmからダメージが現われて、35kmからはだめだめダメージになったって感じ。40kmの給水ポイントでもらったスペシャルは息子の陽介が飲みたがっていたの持って走りましたが飲みませんでした。

 40km過ぎからどこまでスピードを落とさないで走れるか?っていうことを課題にしていましたのでここからは腕を振って走りました。でも足がいう事を聞かず、速く走れません。心拍数は138bpmまで下がり、全然負荷がかかっていないことがわかります。っということは、長距離の練習が足りなかったって言うことでしょう。

 フィニッシュ。この2.195kmは、11分5秒でした。速度にすると5分3秒です。前の35〜40km区間より同じか速いペースで走れたので、一応、根性は見せられたのではないでしょうか?それでも記録は3時間15分。去年はこれより16分も速かったのかー、って思うと、他人事のように信じられません。本当に自分はそんなに速かったのか?っと思ってしまいます。

 会場には、走り終わった人が既に一杯でした。初めは自分が遅かったからっと思ったのですが、あとから順位を見ると126位となっているので、この人の大半は関門でかかった人たちだとわかりました。へーそれだけ関門でかかる人が多いのと、今回の暑さで実力を出せなかった人が多かったんだと思いました。

 走り終わった瞬間、ジーンというものがありました。今回は頑張ったんです。過去サブスリーを出したこの大会2回よりよっぽど大会での走りはガマンにガマンを重ねた走りでした。それだけに良く頑張ったなーっと思ってジーンっと来てしまったのです。ですので、目標の3時間7分台ではしるという達成をクリアできなかった失意は有りませんでした。

 ゆっくり、それからダウンを5分くらい走って行い、整理体操をして、着替えてからバスに乗り込みました。京都行きツアーバスには、一番乗りで、出発前から持ってきた缶ビールを開けて飲み始めました。これこれ、これのために走ってんだよ。やっぱ、マラソンの後はビールだよね。っといいながら家から作ってきたウーロン割900ccも全部飲むといつのまにか眠ってしまいました。

 2週間で2レースという初めての体験でした。これは自分にとっていい体験になりました。毎週マラソン大会に出ている猛者もいますが、自分にとってこの方法はいいのか?悪いのか?やってみなければ判らなかったのです。結果的にいうとタイムを狙うのであれば2週間続けて走るべきではないでしょう。2週間では完全には回復しないのです。2週間前までに整えた体調を維持するという意味では、やりやすいです。ですから今回の体重はベストだったと思います。それよりも、足の裏の痛みは、前回の明らかな後遺症です。打撲のようなものが残っていたのです。それから全体的な体の重さもそうだし、東京が終わってからは体力回復のために練習量を落としたというのも調整不足に繋がりました。

 ちゅーことで今回の記録はこれでおしまいです。