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2010年4月30日(金)
健康診断結果をグラフにしてみました。

 27年前からの健康診断結果をグラフにしてみました。
暇だもん。奥さんはバイトに行ってるし・・・。

 体重は、62kgから13年後までに徐々に増えて67kgが最高。
それから徐々に減って今では57kgと10kg減ったんですね。

 それからなんとこの3年間で身長が減る傾向にあることがわか
りました。困ったもんだ・・・。

 肝臓機能と脂質代謝が一番悪かったのは、1996年頃ですね。
死んでもおかしくない値でしたが、そのときはまだ若かったんで
すね。若さでカバーしていたんですね。

 そうそう、この前のかすみがうらマラソンの完走記をUPしました。
左の完走記集からかプロファイルの走歴にリンクを張りましたの
で見てください。

 ちゅーことで、今日はなんとか9.6km走りました。8km走ったら
太腿が痛くなったのでまだまだ、昨日のダメージもかすみがうら
マラソンのダメージも癒えてないです。やばいです。

 無理してはだめ。明日も適当に走ります。それでは、また。
 

2010年4月29日(木)
情けない走りしかできないのです。

 良かったんだか?悪かったんだか?

 朝の3時半に起きて静岡に向けて走りました。
今日は富士市に行く用事があり、どうせなら走って行こうと
思っていたのです。

 横浜から富士市までは123km。時間を掛ければ行けな
い距離ではありません。

 問題はかすみがうらマラソンで痛めた膝です。その痛い
おかげで、大会後は12kmまでしか走れない状況でした
から、無謀といえば無謀。123km 走れないでもどこまで
走れるか?走れるところまでいこう、っというつもりで走り
ました。

 飲み物とパンと着替えだけをバッグに詰めて4時20分に
出かけました。作戦は初めから歩くこと。

 初めから計画的に歩くようにすれば、走るだけに比べて
筋肉が固くなりにくく、長距離走れるというアメリカのランニ
ングインストラクターの話を思い出したのです。

 10分走って3分歩くことから始めました。横浜駅北口近く
までくると4kmくらい走ったことになります。もう膝が痛み
始めてきました。

 そこで自分と同じようにデイバッグを背負ってゆっくり走る
ランナーが居ました。彼とはその後も良く会いましたが、この
時点ではまさかあんなところまで彼が走るとは思いません
でした。多分、向こうもそう思ったでしょう。

 ルートはほぼ箱根駅伝と同じルートを走りました。ゆっくり
走ると権太坂もそんな辛い坂じゃないな、って感じです。
平戸まで1時間10分くらいで着ちゃいました。意外と早く
ここまで着ちゃいました。

 箱根駅伝とコースが違うのは戸塚前で歩道が無いバイパス
には行かず、踏切と戸塚駅前に通じる道を走ったところです。
この踏み切りは長く、電車4本も待たされました。その間にまた
あのお兄さんランナーが追いついてきました。

 もう戸塚あたりでガンガンに膝が痛くなりました。小田原まで
が一応の目標でしたがとてもそこまではいけません。次の藤沢
あたりでリタイヤしようと思っていました。

 藤沢を通過。藤沢駅は国道一号線からするとちょっと戻り気
味な道を行くので、なんとなく、ここから戻るのももったいない
っと思ったんですね。

 線路の弧線橋を渡ったところでストレッチをしていると、また
またあのお兄さんランナーに抜かれました。このときにはビックリ
ですね。こんな長い距離を走ってくる人と偶然、横浜からほぼ
一緒のペースで走ってくるっというのは、本当に稀なケース。
自分も脚に自信があったら声を掛けて一緒に行きましょうって
言えたのに残念です。

 そこからなんとかお兄さんランナーから100m後方で辻堂駅
入口まで着ました。そこから、まだお兄さんランナーは茅ヶ崎
方面に走って行きました。なんだかここでリタイアする自分は
恥ずかしかったです。

 結局、辻堂までは約30kmほどでしょう。それを3時間20分で
走りました。富士までは、東海道線に乗っていくと、綺麗な富士
山が見えて、久々に富士山を見た気がします。

 明日は、リハビリランです。それでは、また。

2010年4月28日(水)
楽しく走ろう

 明日、静岡に向けて走ろうと思っています。

 どこまで走れるか判らないけど、ま、ゴールは気にせず走れる
ところまで
行ってあとは電車で富士まで行こうと思っています。

 本当は始めは絶対走れると思っていたのですが、こんな膝の状態
じゃ
完走はムリ。でも、楽しく走れる話なんで、HPネタにはいいかも?

 なーんってね、横浜か保土ヶ谷でリタイアなんちゃってあるかも。

 ちゅーことで、今日は走らずに早いとこ、寝てしまいます。明日は4時頃
から走り出したいと思っています。それでは、また。

2010年4月27日(火)
膝の痛みはヒツコイ

  なかなか治りません。

 昨日は朝に11kmゆっくり走ってから、デリーに移動中に
3,4度と脚のマッサージを繰り返しました。膝の痛みが脚の
筋肉疲労と固さからくると判ったからです。

確かに太腿やふくらはぎのマッサージやストレッチをした
あとは膝の痛みが消えるので効果はあると思っています。

 それでも今日、お昼過ぎにトレッドミルで走ってみると、初
めの1,2kmはいいんですが、そのあとジワジワと膝が痛
んでくるのです。まだまだ、ダメージが残っているって事な
んでしょうか?

 ちゅーことで、今日はトレッドミルで12kmを71分で走りまし
た。10km過ぎからは膝が痛んでしょうがなかったんです。

 本当は15kmほど走りたかったんですが、まだまだ、安静が
必要なんでしょう。

 明日は横浜で少し走ります。それでは、また。

2010年4月26日(月)
インドでは今が一番暑い季節

 今日はまた、カルカッタからデリーまで移動です。

 通常は、朝早く出掛けるパターンなので朝に走れなくなるのですが
今日は夕方の便に乗るので、朝に走れます。

 しっかし、暑い!日中は日傘なしでは外を歩けないのです。男もみな
日傘を差して歩いています。日光が弱いヨーロッパがアメリカンな日差し
なら、さしずめインディアンかアフリカンっと言った日差し。

 ですからちょっと雨が降っても止んだ一時間後には、道路がからからに
乾いて砂埃が立ち始めるのです。クーラーのない車に5分乗っているだけ
で体から汗が吹き出ます。サウナなんて要らないね。

 ちゅーことで、今日も朝に走りました。今日は昨日より45分早めに走
り出したこともあって、比較的涼しい中で走れました。まだ左ひざは痛み
が消えませんが走れない痛さじゃ有りません。全体的にはkm6分とゆっ
くりのペースで10km走りました。昨日から始めた最後のダッシュは、
今日のほうが元気に走れましたね。

 明日はデリーのホテル内で走ります。それでは、また。

2010年4月25日(日)
常識にとらわれないようチャレンジあるのみ

 時間がない。

 今回はちょっと反省。お客さんへの訪問日数をそれぞれ2日づつと決めたのですが
結果的にそれでは十分にお客さんの現状を把握することが困難でした。

 彼らが持っている疑問点や問題点は教えてくれるのですが、果たしてその周辺の
データを取り出すと時間が掛かるのです。

 お客さんが持っている認識はデータを教えてくれるわけではなく、なんとなくの
印象や記憶によることがほとんどです。また、困ったことに、其の基のデータその
ものが間違っている場合があって、その原因まで調査しようとするととても2日間
では問題が解決できないということ・・・になるのです。

 大体のお客さんは自分たちの計器から得られるデータや分析のデータは正しいと
信じていますからね。

 こういう自分たちの認識は、時には常識となって絶対的な信頼の置けるものという
価値にまでなってしまうことは、我々でも良くあることです。特に日本人の常識(
認識)は外国の認識にしてみると非常識なものが結構あることに気づかされます。
例えば、相続税があるのは(こんなに高いのは)日本(max70%)だけ。とか、
日本で発せられている世界動向もよめば正しい方向に導かれるだとか・・・・

 今、読んでる本がそういうことを語っているので、ついついそっちの方向に話が
言ってしまいました。つまんないよね。すみませーん。

 私も自分の中の常識をぶっ壊すつもりで、日夜走っているのです。^^;)なんちゃ
って。

 ちゅーことで、今日は朝に12km走りました。時間はあるのでゆっくりでいい
から10kmは走ってみようと思ったのです。まだ左膝は走ると少し痛みますが、
走れないほどではなくなりました。3,4km走った後のほうが痛みが引けてきま
す。

 ですから、始めの2,3kmのときの方が、まだ痛いな、今日は軽くでやめてお
こうか?なんて弱気になりやすいのです。なんとか11km走って、最後の1km
で3回、30秒ダッシュを行って、心拍数を160bpmまで上げることができま
した。

 明日も朝に走ります。それでは、また。
 

2010年4月24日(土)
同じ国でも価値観は色々

 今日、南インドのタミルナード州からカルカッタが州都である西ベン
ガル州にやってきました。

 カルカッタから西に約250kmのところにあるドルガプールという
町の外れにお客さんの工場があるのです。

 この西ベンガル州は共産党的な組合の力が強く、そのため未だにスト
ライキとかをやって経営者を困らせる体質の国営企業が多いのです。

 今度の27日は、インド全体で交通機関のストライキがあるそうです。
これはインド全体で行うのですが、大体は部分ストで、国際線や一部の
交通機関は動くのです。

 それが、この州だけは、完全ストで国際線も飛ばないんだとか。そこで
本当は27日の朝にデリーへ向かうはずでしたが、26日の夜に急遽変更
しなければいけませんでした。

 そういう、役所、組合の力が強いので、TATAが開発したナノという20
万円の車も工場建設反対運動にあって他の州に工場建設をしてしまった事は
有名ですよね。

 なにが大事なんでしょうね。国が同じでも文化や価値観が違うというのが
日本では想像も付かないことです。

 ちゅーことで、今日は夕方にドルガプールについてから9km走れました。
工場の住民が住んでいる団地内に約1kmの周回コースがあってそこを走り
ました。夕方5時過ぎでも40度近くはある灼熱地獄の中で走ると1km 
走っただけで汗が吹き出ます。
 
 3周目くらいからkm5分20秒くらいのピッチで走りました。暑いおか
げで普段は135bpmくらいの心拍数が150bpmまで上がったのには
ビックリです。最後は150mダッシュを3回行いました。

 明日は朝に走ります。それでは、また。 

2010年4月23日(金)
忙しいのと睡眠不足が原因か?

 今回の訪問はあっという間でした。

 やることが一杯あって、最後の日の今日は夜中までお客さんの工場に
いるはめになりました。

 明日は朝の4時に出かけてカルカッタ方面へ移動するので走れません。

 ちゅーことで、今朝は起きるといやに体が疲れています。着替えて外に
出ましたが、屈伸するのも難しい状態。多分、昨晩はあまりよく眠れなか
ったので寝不足なんでしょう。

 したがって、40分歩いてそこから折り返して帰りは走って帰って、
60分間で約7kmを歩いて走りました。こうするとなんとか走らない
日を作らないのですが、多分昨日の3km坂道往復が原因で、ふくらはぎ
がいやに張ってしまいました。

 明日は、移動で走れないので良い休養になればっと思っています。
それでは、また。

2010年4月22日(木)
南インドの文化とジョギング少年

 今いるところは、インドの南にあるタミルナード州です。

 その州のど田舎にメトールという村があって、そこに工場を建てている
お客さんのところに来ているのです。

 インドは大きく分けて南と北に文化が分かれます。南の文化ではヒンドゥ
ー語をしゃべる人は極まれ。英語か南インドのそれぞれで使う言葉を常用語
としています。

 食事も大きく異なります。南はお米の食事がほとんどです。イティリー、
ドゥーサなどは全インドに広まっていますが、元々は南インドの食べ物で
米からできたものです。

 北は麦で作ったチャパティーやナーンが主食です。自分は油っこくない
それでいてスパイシーな南インド料理が好みです。

 だからついつい食べ過ぎちゃうのよね。今は、リハビリであまり走れない
ので、こういうときは食べれないほうがいいのですが・・・・^^;

 ちゅーことで、今日は朝の6時40分から約60分で11.6kmを走り
ました。行き先はダム。ここに3kmの連続した勾配のきつい坂があるので
す。

 走り始めは例によってkm8,9分と超遅いペース。そこに中1くらいの
男の子が走っていてずっと併走しました。こっちは一緒に走りたくないんだ
けど、インドの子供って人懐っこくってすぐよってきて、一緒にピタっとく
っつかれてしまいました。

 いつもなら簡単にぶっちぎりますが、リハビリ中なもので逆についていく
のがやっとのペース。走り始めてから2kmくらいのところからダムの坂に
差し掛かると、漸く、あきらめて着いてこなくなりました。それでも2km
強、インドの子供がジョギングするとは珍しいです。

 それから自分は約3km走って折り返し。行きは下って帰りは登るんです。
朝になかなかスピードを上げられないときは、こっちのパターンの方が自然と
スピードがでるのでいいですね。

 こんなに走ってもレース前に痛めた右足首はちっとも痛く有りません。痛く
ないのは、いいんですが、レース前に大事を取って全然走らなかったのは、
結果的には失敗だったのかもしれません。ちょっと無理してもいいから、一週間
前から走ったほうが、今回の大沈没に繋がらなかったかも。

 明日もこの坂を走ります。それでは、また。

2010年4月21日(水)
膝痛対策

 さて、膝が痛んだ理由です。

 霞ヶ浦マラソンを走ったとき、後半の35km過ぎぐらいから左膝が
痛み始めました。其の日は、膝かんたんテーピングを両膝にしていました
し、今まで、マラソン大会の走行中に膝が痛み始めたことなど無かったの
で、不思議に思っていました。

 翌朝も膝が痛くて走れませんでした。インドに来てようやく走れましたが
まだ痛みはあります。

 月曜日の夕方に川崎でスポーツマッサージをしてくれるところに行って
みました。そこで膝を見てもらうと、膝自体は熱を持っているわけでもなく
悪くないそうです。こういう場合は膝の前後の筋肉が硬くなると膝の動きが
制限されて痛むことが考えられるそうです。

 そういえば、レースでは、膝が痛む前に太腿の筋肉やふくらはぎに疲労が
溜まって、まずそれらの脚が棒状態になってしまっていました。太腿の付け
根など、今まで感じたことがない痛みを持っていました。そのあとに膝が
痛み出したのを思い出しました。

 なるほど、ですから、日がたつにつれ、太腿やふくらはぎの疲労が取れて
きて膝の痛みがなくなってきたっというわけですね。

 この膝の痛みの原因はもっと一般的に予防対策として応用できるのかも。
つまり、膝の痛みを予防するには、走りすぎて筋肉が硬くなってしまったと
きは、マッサージをよくして、太腿やふくらはぎの筋肉を常にやわらかく
たもつことが重要だということです。

 今まではマッサージなどを自分でやったことが無かったんですが、これから
取り入れていきたいと思います。

 ちゅーことで、今日は朝にホテルのジムで10km走れました。昨日が4.
2kmだから進歩ですね。昨日、走ったあとに時間をかけてストレッチをやっ
たのが良かったのかもしれません。

 明日は朝にロードへ出てみます。それでは、また。

2010年4月20日(火)
失敗は成功の基

 なんでも勉強になります。

 今回、霞ヶ浦マラソンに出場して、4時間8分という散々な結果でした。
でも自分としては以下の様な事を学習しました。

1、おごる無かれ。自分は常に挑戦者。
2.練習は嘘をつかない。決して練習をサボった人に女神は微笑まない。
3.膝を痛めるのは、膝の周り(太腿やふくらはぎ)の筋肉疲労が原因。
4.意識的に歩けば距離は稼げる(完走できる)。

 8kmでふくらはぎが攣ってしまってから速度が遅くなり、中間点は、
なんとか1時間37分で通過したんですがそれからの後半は2時間30分
掛かったんですね。

 実は25km地点で棄権を申し出たんです。それから毛布に包まって、
しばし、椅子に座っていました。でも其のうち走れる、このまま2時間
待つより走りたいっと走り出しました。

 でもそのあと28km地点で再度、棄権を申し出て係りの人、他の棄
権者と収容車を待ちましたが一向にくる気配が無く、また、走りだしま
した。

 それから30km地点。もう絶対これ以上走れないっと思って、棄権を
申し出ましたが、やっぱり収容車は一向に来る気配がありません。

 もう、これは走った(歩いた)ほうが速いだろうっとまた、走り出し
ました。ここからは、もう腹をくくって走りました。なんとかあと12
kmを入ろうと。
 
 そのために計画的に歩きました。月刊ランナーズの2008年度版に
載っていたのですが、アメリカのランナーコーチの話で初心者のマラソン
ランナーには、歩いて走るを繰り返したら誰でも42kmを走れるという
記事を思い出したのです。

 これは理にかなっているので記憶にあったんです。早速それを実行。
1Kを走る間に250mは歩いて後は走るを繰り返しました。そうすると
大体、km7分で走れ(歩け)たのです。

 それでなんとか4時間8分。よく頑張ったと思いますが、楽しく走る
学校長としては情けない結果ですね。すみません。

 あと膝の痛みは皆さんにもなぜ起こったのか?ということが参考になる
と思います。今日はもう寝たいので、明日か明後日に書きますね。

 ちゅーことで、今日は、インド、デリーのホテルで23分走りました。
まず、走れて感激でした。昨日は膝の痛みで5分も走れなかったですから

 23分でやめたのはやっぱり膝が痛み出したから。でも心配はしていま
せん。その理由が判ったからね。

 明日は、朝にこのホテルのジムで走ります。それでは、また。