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2010年6月10日(木)
膝痛予防

 なんで、雨降るの?

 今日は、本当に久々に往復26km、通勤ランをやりました。
往きは朝の6時から走り出しましたが、既に太陽がさんさんと
照っていて、暑かったです。

 復帰りは、会議が長引いて7時30分から走り出しました。走り始
めは少ーし雨。霧雨くらい。こんな雨じゃやめる必要ないね。むしろ
涼しいから走り安いや、って、走り始めました。でもその10分後には
本核的に降り始めて、やめようかどうしようか迷いながら走りました。
もうちょっとこれ以上激しく降ったらやめようっと思いながら走っていると
その内、止み始めたので助かりました。
 ちょ
こっと膝が痛くなって、やばいやばい。太ももの筋肉を柔らかに
保つことが大事なのね。

 信号待ちで止まったときは、股関節や太もものストレッチを行って
膝痛を予防しました。

 ちゅーことで、朝は82分、夕方は67分かけて走りました。少ーし
だけ昨日より速く走れたかな。

 明日は、朝に多摩川沿いを走ります。それでは、また。

2010年6月9日(水)
第二ステップへ

 今週、膝が痛くなった4月から初めて通勤ランで自宅から
走れました。

 荷物を背負って13km走れるか?っとちょっと心配だったので
走れてよかったです。昨日は夕方は、雨で走れず今日は朝が
雨で走れませんでした。

 ちゅーことで、今日は夕方、会社から自宅まで走りました。78分も
かかってしまい、絶好調時に比べるとまだまだですが、ま、1から
はじめようと腹をくくった10日前に比べると第二段階に進めたかな?
っと感じられます。

 明日は、往復通勤ランです。それでは、また。

2010年6月7日(月)
インビクタス(負けざるもの)

 感動した。

 インビクタス(負けざるものたち)という映画を見ました。
感動した理由を忘れない内に書き留めたかったのでこの
日記にUPします。

 この映画はラグビーワールドカップが1995年に南ア
フリカで行われたときのドキョメンタリーです。

 このワールドカップが行われる前年度にネルソンマンデラ
大統領がアパルトヘイト(人種差別)に打ち勝ち、大統領と
なったときでした。

 彼は、南アフリカの初めての黒人大統領として非常に
過酷な立場に立たされたのです。黒人の票は獲得したものの
当時、経済その他を支配していた白人からどうやって指示を
得られるか?っという困難な事に。

 その翌年、白人が愛して止まないラグビーという競技のワー
ルドカップが南アフリカで行われるのです。彼は、ここに活路を
見出そうと考えたのです。

 新しい南アフリカの旗の下で、白人が主力の南アフリカチーム
が勝利すれば、白人も新しい黒人が主導する南アフリカの政府
に共感してくれるのではと。

 そうして、大統領は、南アフリカチーム、スプリングボックスの
主将を大統領官邸に招き、国家の行く末を左右する重要な位置
づけを伝えたのです。

 ラグビーは監督が指揮するものでは有りません。主将が試合中
練習中にリーダーシップを発揮してチームに勝利を導くのです。
そういった意味で、大統領はラグビーの経験者でしたし、ラグビー
は何たるかをりかいしていたのでしょう。

 かくして、ワールドカップは始まりました。戦前の南アフリカの戦績
から今回のワールドカップは、決勝戦に進めるがそこまでだろうと
いう燦燦たるものでした。

 しかし、彼らは、国家からのの重要性を主将のリーダッシップの
もとに感じとり、快進劇を繰り広げます。

 決勝戦は、当時、絶対的な戦力を誇っていたニュージーランドです。
そのチームは日本と予選で145対17という大会史上、歴史に残る
大差をもって決勝戦に進んだ強豪チーム。このときのウィングにいた
ロムーが120kgの体重で10秒台で走るという怪物で誰も止められ
ないっと言われた人物がいたチームでした。

 そのチームに戦前、戦力的に決勝戦進出がやっとっいうチームが
大会初となる延長戦を制して何故勝てたのか?

 何をかくそう、私はラグビーを高校時代から会社時代までやっていた
人間なので感じるしですが、ラグビーというスポーツは、心意気なの
です。気持ちが50%くらい試合を左右するのです。

 そういった意味で、大統領は彼らチームを奮い立たせたのです。
それだけで充分でした。

 マラソンもこういう意味で似てると感じます。だから私がこの分野で
ある程度、通用するのだと改めて思いました。マラソンも気持ちで走る
のはラグビーと同じだと・・・・。

 そういう意味でも、この映画の結論とでも言えることはインビクタス
という言葉そのものにあります。これは「負けざるもの」という日本語の
副タイトルがありますが、映画の中での日本語訳では「征服されざるもの」
なのです。

 この大会の前から全世界の予測はニュージーランドの優勝でした。
また、ネルソン・マンデラ氏は大統領になるまで27年間も投獄の中に
いて打ちひしがれていました。

 両者に共通しているのは、それらの環境に征服されなかったことです。
自分の信念を貫いて、世間をあっと言わせた事なのです。

 そういう意味でも、マラソンランナーは自分の可能性を信じて、年のこと
などで世間の常識に影響されないで自分の信念を貫くことが大事という
意味で、大いに勉強になった、励まされた映画です。

 これから、何かに挑戦したい人は是非見ていただきたい秀作だと思います。

 ちゅーことで、今朝は西安の町を走りました。朝6時から西安の町を
走り出すと、西安の陸上競技場を目指したのです。そこで走れるかも
っと。

 西安の町は古く、城壁に囲まれた街です。それが今は近代的なビル
で囲まれた大都市になっていて、中国の隆盛を感じます。

 競技場に行くと圧倒されるくらい大きな競技場です。サッカー場というなら
納得しますが陸上競技場でこんな立派な競技場は、なかなかないでしょう。

 帰りに、南門を越えました。それからまた要所にお城らしき建物。西安が
国を守る要所だということが判ります。

 ホテルに帰るとちょうど60分走っていました。まだちょっと時間があるので
3km、ジムのトレッドミルで走りました。

 うん、膝は大丈夫。それから西安→北京→東京と今日のうちに帰国しました。

 明日は通勤ランです。
それでは、また。

2010年6月6日(日)
ランランの日でした。

 今日は久々に走った感じがしました。

 まず、朝食前にゴルムの街を95分間走りまわりました。初めの
ゴルムの駅に行きました。この駅は街の西の外れにあり、繁華街の
あるところから離れていてさびしいところにあるんですね。

 ゴルムという言葉はチベット語で水の集まるところという意味だそ
うです。ヒマラヤ山脈からの雪解け水が集まるところなんでしょう。
そうでなければ、ここは年間降雨量が1mmとほとんど雨が降らない
ので作物も育ちませんし、人も住めない土地です。

 チベット行きの列車が通りました。一度は乗ってみたいものです。


 駅から東に向かって55分過ぎたところで引き返しました。そこから
八一道路というゴルムで一番栄えている町並みを通ってホテルに帰り
いつものように40秒間の流しを4回やって、へろへろになってホテルに
着きました。

 それから、飛行機で西安へ。西安に着いたのは午後の4時過ぎ。それ
からホテルにあるジムに行ってトレッドミルで夕方のランを14.5km走り
ました。

 トレッドミルで、走るのは久しぶり。正確な走行速度がわかるので、そ
のときの心拍数が膝痛故障前の自分の心拍数とどれでけ違っているの
か?正確に測定できるので走ってみました。

 このゴルムでの高地トレーニングのおかげか?膝痛が起こる前の心
拍数とほぼ変わらない心拍数で走れているので嬉しかったです。嬉しく
なって、ついつい13.5kmが目標でしたが14.5kmと1km余計に走って
しまいました。

 最後は500mだけでしたが、2分5秒で走れたので気持ちよかったです。

 明日は、西安を出る前に朝ランです。それでは、また。

2010年6月5日(土)
休みでも勉強熱心だ

 今日は土曜日。 
  
 ここ中国西の外れの田舎町でも土曜日はお休みの日の
ようです。

 お客さんの会社にいくと、自分が関係する人たちしか来て
いません。これが日本では当たり前なのでしょうが、インドや
中国でこれから工場を立ち上げようという時期には土日も無く
働くのが普通なので、自分にとってもちょっと異色に思えまし
た。

 それと同時に、自分が来て講義をするのですが、その聴講を
熱心に聴きに来てくれるお客さん社員には頭が下がります。
こういう熱心さ、日本人にはもうないよね。

 ちゅーことで、今日は朝に走れなかったので、夕方、30分だけ
走りました。こちらに来て毎日走っていますが、それほど長い
距離を走っていないのに太腿は張ってパンパンになっています。
高地で走ることによって心拍数が上がる環境で走るとそれほど
速く走らなくても無酸素状態で走るために筋肉には負荷がかか
るようです。

 今日も最後は40秒の流しを4回やってフィニッシュ。頭がクラ
クラしました。
 
 明日は朝に走ってから、西安へ向かいます。ですから高地
トレーニングも明日の朝でおしまいです。それでは、また。
 

2010年6月4日(金)
外国を理解することは難しいでしょう。

 いろいろ教わりました。

 中国語の通訳の人は李さんといいます。今晩からこの人と
二人だけで食事をすることになりました。昨日まで、日本から
来ていた同僚が今朝の飛行機で帰国したのです。

 っとなると食事の時には必然的に一対一の話になります。
そこで、彼の人生観についていろいろ聞きました。

 びっくりしたのは、彼を最初に教えた人は日本からの難民の
日本女性だったということです。彼女の人柄に引かれた李さん
は、日本のことをより知りたいと思い、日本語の勉強にも、それ
からの日本についての勉強への熱意にも繋がったのです。

 その勉強の深さがより日本人の理解に繋がり、より多くの日本
人との接触、そこから学んだ日本人の感覚や理念を得るまでに
至ったという彼のドラマチックとも言える遍歴を聞いて、ビックリ
したのです。

 好きこそものの上手なれという言葉はとっくに超越しています。

 一つ言えることは、日本人、中国人という垣根を感じている間は
お互いを理解する上で、本質が見えてこないということです。同じ
人間、でも違う世界環境で生きて生きた人間ということを理解して
付き合えば、今まで見えていなかったことが見えてくることもある、
っということを、盛んに李さんは、主張してくれ、同感しました。

 こういったことを、一度も日本や中国を出たことがない人に判っ
てくれって言うのは無理なんかもしれないけどね。

 ちゅーことで、今朝は起きるのが億劫でした。起きるともう6時を
廻っていました。さんとか7時にはホテルの外へ出て走り出しま
した。

 今朝は、この町の繁華街はどこか?ってことで繁華街がありそ
うな方向に走り出しました。走り出した15分くらい後で、街の地図を
道端に掲示してあるのを見つけました。

 これで大体、この街の構図が理解できました。今、滞在している
ホテルの近くに駅があって、そこからホテルを通り越して約5km
ほど北に向かうとこの街の繁華街があるらしいのです、

 こういうところが判ったところで今日は時間切れ。ホテルに帰って
朝ごはんを食べるとお客さんの工場に向かいました。
 
 ちゅーことで、明日は、この街の駅に行った後、繁華街に向かい
ます。それでは、また。

2010年6月3日(木)
油と唐辛子でやられた

 なんにもないね。
 
 今日はじめて、お客さんの工場に行きました。
ゴルムの町から車で100kmで飛ばして50分のところに
忽然と工場コンビナートが現れます。

 それまでの道中は草原だけ。店も民家もありません。ですから
余計になんでこんな辺鄙なところに工場があるんだろう?って
首をかしげてしまいます。

 なんでも、土地をただで政府から頂いたのだとか。

 工場内はいたって近代的な造り。本部がある建物の入口は
自動ドアですし、建物の中は4階まで吹き抜けになっていて、屋根
付きの中庭にはバトミントンコートが二面と卓球台、ウエートトレー
ニングマシンまであります。

 会議室には、投影機もあって、パソコンの画面を拡大して全員で
見れるようになっています。

 こういったインフラの整備はここ2,3年で急激にコスト的にも安く
なって、揃えやすくなりました。

 昔に比べて、新しく工場を建設して起業するっというのも容易にな
って後発企業がさらに安い製品を市場に提供できるようになってきた
ってことでしょう。日本がおんなじことしてて勝てるわけがありません。

 ちゅーことで、今日は朝に65分、12kmほど走りました。5時20分
に起きましたが、外はまだ真っ暗。中国は広いのに北京時間のみで
すから西にいくとそれだけ日の出、日の入りが送れてしまうのです。

 6時15分くらいにようやく明るくなり出して走り出しました。今朝は
昨日と反対の西に向かって走りました。

 走り初めからお腹の調子がすっきりしないのです。朝起きてすぐに
トイレに行ったのですが、まだなんか残っているような・・・・。

 35分も走るといよいよお腹が痛くなり出したので、折り返してホテル
に向かいます。なんとかホテルまで持ってくれれば、っと祈りながら
走りました。

 もー、我慢できない。折り返してから7分のところで道の脇にある
林に入ってしゃがみこみました。

 出る出る。消化不良です。中華料理は油っこいですし、唐辛子が
効いた料理があるのでお尻が緩みがちになってしまうのです。

 こういう料理に慣れるまでは、ホテルの周りをぐるぐる廻るような
コースにしていつでも帰れるようにしないと危ないです。

 思い切ってやったあとは快調に走れました。最後に30秒の流しを
3回やってフィニッシュ。

 明日は、そこらへんを気をつけてコースを選びましょう。それでは、
また。

2010年6月2日(水)
中国の奥地って感じね。

 標高2800mのゴルムというところにやってきました。

 ここにはチベット行きの高原列車が通っていて、これより
南西のもっと奥地にいくと標高5010mのところにまで列車
でいけちゃうんです。

 すごいねー。

 ホテルにお昼につくと昼食を食べて、それから今日はお客
さんのところに行かなくてもいいということになり、ホテルで
ゆっくりすることになったんです。

 ちゅーことで、早速走り出しました。

 ゴルムという町は飛行場から車で20分のところにある小さな
町。デパーも大きなスーパーもありません。

 こんな中国の西の外れの田舎でも道はしっかりと広く舗装さ
れています。中国のインフラは確実に先進国と同等になって
いますね。

 走り始めてすぐに息苦しくなるのか?っと身構えていましたが
ぜんぜん息苦しくはありません。しかし、心拍数はいつもより1割
ほど高目です。苦しいという自覚がないだけで、確実に心肺には
負担がかかっているようです。

 東に向かって伸びる道をひたすらまっすぐ走って30分のところ
で折り返しました。こうすれば、道がわからなくても迷子にならな
いですから。

 折り返し地点で南西の方向に見える山々の写真を撮りました。
あれが5000m級なのでしょうか?ホテルの地図では6800mの
山もこの近くにあるのです。

 折り返してからは向かい風。折り返すと、自然とペースを上げる
ので心拍数もさらに10bpm上がって160まで上がってしまいま
した。さすがに、お昼を食べてから間もなく走ったことでお腹も痛く
喉が渇きます。空気が乾燥しているんです。

 最後にペースを上げてみると、とても息が苦しくなり、あーこれが
高地トレーニングなんだって感じがしました。そんなにペースを上げ
なくても心拍数が最大に近い166bpmまで上がったのです。

 これは、いいかも。^^;

 明日は朝に走ります。それでは、また。

2010年6月1日(火)
仕事にいくのよね

  今日から中国の高原地方に行って来ます。

 青海省という中国の西、チベット高原に近いところで
  漢民族とは異なる文化があるっときいています。
    
 そういった異文化のちがうエスニック的な興味を訴えたい
地方なのですが、自分を知っている周りの人達は、
「高地トレーニングにぴったりだね」とか「あんまり走りすぎて
バテないように」って、言ってくれるのです。

 私だって、走るだけが脳じゃナインだけど・・・・
            
 確かに、どんなに高地で走ると辛くなるのか?って体験し
たことがないので、興味深々ではありますね。^^;                 

 でも、ひとつ心配なのは田舎なのでインターネットが使え
なくなるのではってこと。もしかしたら明日以降、更新でき
なくなっていたら、7日に帰国しますのでそのとき、一挙に
UPしますね。
       
 ちゅーことで、今日は朝4時に起きて山下公園まで走っ
てきました。土曜日に往復87分かかったので、今日はど
れくらいで走れるか?っていうのがテーマ。

 あのときからはずいぶん回復っというか成長したと思った
のですが、思ったよりは早く走れず、往43分復40分の
83分でフィニッシュです。

 ま、こんなもんか。本当にまだレベル1ですね。
               
 明日は西安で走れるかな?それとも青海省で走るかも
それでは、また。